晴れ着に身を包んだ少女たちの
笑顔には屈託がなかった。
母親以上に着飾った姿は、
そばに立つ両親にとっても誇りなのだ。
カメラを向けると
少女たちは後ずさりをした。
それを後ろから押し出すように
カメラの前に立たせたのは母親だった。

夜になると決まって雷が鳴った。闇は稲妻で妖しく光り、大粒の雨が熱帯植物の大きな葉っぱを叩いた。雨期へ向かおうとしている10月の終わり、時折雲間から丸い月が顔を出した。満月である。ラプラパンの村ではオダランが始まっていた。ガムランの音が、質の悪い拡声器を通して聞こえてくる。祭りは1週間ほど続くのだ。昼間、村の中程にある寺院の前まで行ってみた。着飾った女や子供で賑わっていた。見事に飾り付けられた供え物を女たちは頭に乗せて次々と寺院の中に入っていく。私は門の前に立ってそんな光景を眺めていた。門の前では祭りのために正装した男たちがカード博打で盛り上がっていた。男も女も子供も晴れがましい顔をしていた。階段を上がって中に入ろうとしたが、石段に座っている男に止められた。

月の満ちる夜、ラプラパンの村で初めてのオダランを体験した

外国人だからダメなのかと思ったら、寺院に入るには正装しなければならないらしい。せっかくオダランに出くわしたのに、残念なことである。
その日の夜は雷が鳴ることもなく、祭りのガムランがよく聞こえた。村の通りまで出てみると、今夜が本宮ではないかと思うほど人が集まっていた。どうすればオダランに参加できるのだろう。以前、ウブドで知り合った日本人がオダランにハマって、半年を日本で、残りの半年をバリ中のオダランを見に行っていると言っていた。

参加できないことはないはずだ。ホテルに帰り、フロントに相談してみよう。
サロンという腰巻きをスレダンという腰ひもで結ぶだけでオダランに参加できることが分かった。うれしいことにホテルスタッフの私物を貸してもらえることになった。バリの人のような頭に巻くウドゥンやサファリと呼ばれる上着は無くてもいいらしい。8時からお祈りが始まることも教えてもらって、いざオダランに向かった。

「セラマット・マラム」と声をかけて石段を上がり門の中へ入いると、寺院の中は祈りの儀式を待つ人であふれていた。境内は三層構造になっていて、通りからの階段の同一線上に二段目の階段があり、さらにその向こうに三段目の階段が見えた。入ったもののどうしていいか分からず、取りあえず一段目の広場で空いている場所に腰掛けていると、上の境内に行きなさいと回りの人達からすすめられた。よそ者だから奇異な目で見られるかと思っていたのに、村の人はとてもやさしく迎え入れてくれた。10段ほどの石の階段を上ると、右手に祭りの進行を勤める人が座る社があり、ガムランを鳴らすカセットデッキやアナウンスマイクが並んでいた。

下の段よりさらに人の密度は高く、より神は近いのだという空気に満ちていた。ぼんやりと立っていると、近くで座っていた老婆が手招きをして、私の座る場所を空けてくれた。横に座ると、これから始まる儀式のためにスズの容器に入ったお米を、額とこめかみに付けてくれた。それからプルメリアの花を耳にかけてくれた。
ガムランが寺院に流れ、そこからは見えない上の段で儀式は始まった。男も女もそして子供たちもプルメリアの花を、合わせた指先に挟んで頭上にかざし頭を垂れた。私も彼らを見習うように同じポーズをとった。やがて聖水の入った器を持った男が階段を下りてきた。男は境内にうずくまる人々の間を縫うように歩きながら、器の中の聖水をその頭と手に掛けて回った。

私のところにも男は回ってきて、皆と同じように頭と手に聖水を振りかけた。隣の老婆を見習って、手に注がれた聖水を口にした。
月の満ちる夜、私はウブドのはずれの小さな村でオダランに出会えた。信仰心の厚いラプラパンの村人に囲まれて聖水を口にしたとき、なぜか心が癒されたのだ。「祈り」という行為が暮らしの中にあることは、とても心を落ち着かせるのだと分かった。癒されたい、救われたいと願う気持ちは、弱いのではなく、心が清いことなのだろう。祈りとともに生きてきたこの島の人々を見て、私の中で何かが変わった。

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