ゴフルはバリで知り合ったジャワ人である。
そもそもは一緒に行った友人の
遊び仲間だった男だ。
日本語ができるので、何かと世話になった。
いまはもう無くなった
ワイズというカフェを根城にしていたので、
バリに行くたびにそこに顔を出す。
ゴフルがいなくても、
宿泊先を店のスタッフに言っておくと、
次の朝にはホテルまでやって来る。
どうも定職はないようだが、
日本人旅行客のプライベート・ガイドとして
それなりの稼ぎはあるらしい。
ゴフルの自宅へ行ったことがある。すでに知り合っていた弟のユースフと妹のアニースと一緒に空港近くのモスクの裏手で暮らしていた。アパートはバリでは流行の造りで、床を白いタイル張りにした涼やかな部屋だった。3人の中では一番年上だし、稼ぎも多いのか最も広い部屋を使っていた。自慢は日本に出稼ぎに行ったときのお土産で、龍の絵の入ったはっぴとおもちゃにしてはやや精巧な造りの日本刀だった。バリで知り合った土建屋の社長の会社で働いたときに、東京土産として買ったのだと言った。日本刀はともかく、龍の絵のはっぴを日本のお土産として売っていることに驚いた。ゴフルにはとてもかっこよく見えたらしいが、もっとましなモノを買って欲しかったと思わないでもなかった。
ゴフルはバリの男ではない。ジャワから出稼ぎに来ている。世界的な観光地として発展を続けるバリにはたくさんのジャワ人が働いている。。
特に若者が多く、一攫千金を夢見てバリへやって来るのだ。ゴフルもそんな一人だった。ジャワを出て何年になるのか知らないが、それなりの暮らしぶりに影響されて妹のアニースと弟のユースフもバリへやって来た。アニースはバリのジャワ人世界で仕事をしているため日本語はまったくできない。ユースフはゴフルのようになりたがっている。日本語を独学で修得しながら日本人のプライベート・ガイドとして生きている兄が格好良く見えるらしい。
そのため、いつも日本語の辞書を片手に勉強している。いまではゴフル以上に日本語が堪能だ。しかも簡単な漢字やひらかなも読むことができる。ゴフルにとっても期待の弟のようだ。そのせいかゴフルは自分のことは棚に上げて、ユースフには口うるさい。ユースフが大好きなビリヤードに夢中になって夜遅く帰ろうものなら、けっこうマジで怒る。
ゴフルのいないところで「兄さんは怖い」とユースフから聞いたことがある。
ゴフルの自宅へ行った夜、近々ジャワの実家へ帰ることになったと聞かされた。どうやって帰るのかと尋ねると、お金のあるときはクルマを借りてみんなで帰るけど、今回は一人だからバスになると思うと答えた。そこで私は「ゴフル、オレがクルマの費用を持つから一緒に連れて行ってくれ」と提案してみた。ゴフルにとっては渡りに船だったのか快諾してくれた。話しを聞いていたアニースは羨ましそうな顔をしたが、仕事を休むわけにはいかなかったし、もうじきジャワから姉のアーミッが来ることになっていた。話しはトントンと進んで、翌日のお昼には出発することになった。