夕食はテレビの置いてある居間の隣の部屋で食べた。食堂らしき部屋なのだがテーブルも椅子もなく、男だけで車座に座った。父親のカーリムさん、長兄のチャイラニ、次兄のワヒッ、ゴフル、そして私だ。真ん中に何種類かの料理とご飯を入れた大きなボウルが並んでいた。それぞれの前にアルミで作られたプレートと水の入ったボウルが置いてあるだけで、フォークやスプーンはなかった。父親のカーリムさんが最初に自分のプレートに料理をよそおうと、次々にみんなそれぞれに料理をよそおった。私はゴフルに勧められるまま、ご飯を取り、その上に肉や魚、野菜の料理をのせていった。料理は右手で食べた。テレビではよく目にするが、初めて生で見る光景である。当たり前のことだが、誰もが見事に右手でご飯と料理をすくって口に運んだ。
人差し指、中指、薬指の3本の、しかも第2関節より先だけを使ってすくい取り、親指の爪のある側で口に押し込むのだと教えてくれた。水の入ったボウルはフィンガー・ボウルだった。しかし残念ながら、彼らのように上手に食べることができないどころか、手のひら全体をベタベタにしたそのうえにプレートの周りまで汚す始末で、恥ずかしいやら申し訳ないやら…。フィンガー・ボウルに手首から突っ込まなければならない有様だった。それでも自分の手で料理を食べる初めての体験は、この文化が世界中でいっこうにすたれない理由を教えてくれた。料理が美味しいのだ。触と食を同時に行うため「食べている」という実感が大きく、より美味しく感じるのである。
夕食が終わって子供たちと遊んでいるとゴフルがやってきて、みんなで集まるからいっしょに行こうと誘われた。親交を深めるためにどこかで一杯やるのかと思った。いずれも30歳をはるかに越えた男たちである。酒の飲めない私でさえ「飲み会」を想像したのは当たり前のことのように思われた。ゴフルと一緒に行き着いた先はワヒッの店だった。陳列ケースをカウンター代わりにして、向こう側にワヒッと奥さんのニスワティンが座っていた。手前側にはチャイラニがいた。3人は酒ではなくチャイを飲んでいた。ゴフルと私にもチャイが出た。砂糖をたっぷりと入れたむちゃくちゃ甘いチャイだった。それでもゴフルには甘さが足りないようで、もう一さじ砂糖を入れた。どうもインドネシアの人たちは甘いものが大好きのようだ。強面のチャイラニも嬉々として甘すぎるチャイを飲んでいた。
私を除いた4人で会話は弾んでいた。中でもチャイラニとゴフルは真剣な表情で何かを話していた。会話が途切れたところで、何の話をしているのかと聞くと「刀の話だ」とゴフルが答えた。そういえばジャワに来る途中クルマの中で、太平洋戦争中に日本軍がジャワ島の各地に残した日本刀がかなりの金額で取引されているとゴフルから聞いた。何かおいしいネタを掴んでいるのだろう、チャイラニとゴフルはかなり突っ込んだ会話をしているように思えた。
ゴフルの実家でテレビを見終えたチャイラニの息子マスドキが様子を伺いに来たところで、甘すぎるチャイを飲む大人の集まりはお開きとなった。イスラムの国インドネシアではアルコールを飲まないため、大人の夜はチャイとおしゃべりで過ごすのだそうである。見た目以上にストイックな暮らしぶりに、正直驚いたりもした。
TATSUYA KYOSAKI PRESENTS
Prev.
Next
Copyright(c)2010 TATSUYA KYOSAKI
Produced by BASIC INC. All rights reserved