その頃まだクタはサーフィン好きが集まる海辺の田舎町、シンガサリの通りでお祭りのような葬式に出くわした。

サヌールで知り合ったガイドのマデに連れて行かれたのが、まだ舗装されてない通りに面したシンガサリの食堂だった。初めてクタへ行ったときのことである。いまではどこのアジアンリゾートにもある、店頭に魚やロブスター、カニなどを並べて客引きをする店である。淡いブルーのタイル張りの店内に入ると隣の席で食事をしている白人夫婦と目があった。話しをするとドイツ人だった。3週間のバカンスでバリへやって来たと言った。ほーっという表情をすると、すかさず「キミはどのくらいバリにいるのか」と聞いてきた。

その顔にはジャパニーズはせっかちだからせいぜい4、5日で帰るんでしょと書いてあった。悔しかったから、4週間ほどバリにいるけど、あと一週間で日本へ帰るんだと大ボラを吹いてやった。思っても見なかった返事に、ドイツ人の亭主はフォークに刺していた魚を取り落とした。ざまあ見ろ!。話しを聞いていたマデがイヤな顔をして私を見た。冗談のわからん奴だ。どうでもいいことだが、滞在4日目でけっこう陽に焼けていたから、ドイツ人夫婦は信じたに違いない。

それにしても、8日間の旅行を長期滞在と優越感に浸っていた私のちっぽけな自尊心は、「3週間のバカンス」と大ボラの空しさに、スコールの後のシンガサリ通りの石ころのように泥まみれになった。通りからカネや太鼓の音が聞こえてきた。行列が店の前を通っていた。祭りか!と表に出てみると、祭りにしてはいささか地味すぎた。「これはバリのお葬式です」とマデが言った。いまでは世界に名だたるバリ島クタの繁華な通りも、その時は西海岸の小さな漁師町クタの、ささやかな暮らしが充満していた。

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