日付が変わる頃、フェリーの上にいた。バニュワンギの港の灯りはすぐそこに見えた。デッキから見上げた月は満ちていた。

ゴフルはスズキのジムニーをレンタルしてホテルへやって来た。エアコンは装備されていない。片道15時間以上の道のりだし、私の都合で2泊3日の強行日程だ。しかもゴフルは徹夜で運転することになる。もう少しましなクルマを借りても良かったのにとゴフルに言ったが、このクルマの方が燃費もいいし運転しやすいんだと、レンタル費用のことを考えて、私に気を遣ってくれた。私はカメラと着替えをデイパックに詰め込んでジムニーに乗り込んだ。後ろの座席には家族へのおみやげをゴフルは積み込んでいた。
ジムニーはデンパサールを経由してタバナンへ向かって走った。目指すはバリ島の最西端ギリマヌクだ。そこからはフェリーでジャワ島のバニュワンギへ渡るのだ。ギリマヌクまでの道は幹線道路のため、けっこう渋滞していた。さらに所々で道路の拡張工事をしていたため、思わぬ遅れをとってしまった。ヌガラ辺りでは高速道路並に整備されたバイパスが完成していたが、結局クタを出発してギリマヌクへ到着するまでに7時間あまりを費やしていた。

日付が変わろうとしている頃、私とゴフルはフェリーの上にいた。デッキから見た月は満ちていた。月明かりの下の海は青く光り、対岸のバニュワンギの港の灯りがすぐそこに見えた。30分の航海だった。

バニュワンギの町を抜けると巨大な森に吸い込まれた。雨が降ってきた。ワイパーの存在価値を無にするような豪雨だった。徹夜で走り続ける覚悟のゴフルの横で寝るわけにはいかない。降りしきる雨と漆黒の闇をヘッドライトは照らし、私とゴフルは居眠り防止に耐え続けた。

「セラマット・マラム」と声をかけて石段を上がり門の中へ入いると、寺院の中は祈りの儀式を待つ人であふれていた。境内は三層構造になっていて、通りからの階段の同一線上に二段目の階段があり、さらにその向こうに三段目の階段が見えた。入ったもののどうしていいか分からず、取りあえず一段目の広場で空いている場所に腰掛けていると、上の境内に行きなさいと回りの人達からすすめられた。よそ者だから奇異な目で見られるかと思っていたのに、村の人はとてもやさしく迎え入れてくれた。10段ほどの石の階段を上ると、右手に祭りの進行を勤める人が座る社があり、ガムランを鳴らすカセットデッキやアナウンスマイクが並んでいた。

下の段よりさらに人の密度は高く、より神は近いのだという空気に満ちていた。ぼんやりと立っていると、近くで座っていた老婆が手招きをして、私の座る場所を空けてくれた。横に座ると、これから始まる儀式のためにスズの容器に入ったお米を、額とこめかみに付けてくれた。それからプルメリアの花を耳にかけてくれた。
ガムランが寺院に流れ、そこからは見えない上の段で儀式は始まった。男も女もそして子供たちもプルメリアの花を、合わせた指先に挟んで頭上にかざし頭を垂れた。私も彼らを見習うように同じポーズをとった。やがて聖水の入った器を持った男が階段を下りてきた。男は境内にうずくまる人々の間を縫うように歩きながら、器の中の聖水をその頭と手に掛けて回った。

私のところにも男は回ってきて、皆と同じように頭と手に聖水を振りかけた。隣の老婆を見習って、手に注がれた聖水を口にした。
月の満ちる夜、私はウブドのはずれの小さな村でオダランに出会えた。信仰心の厚いラプラパンの村人に囲まれて聖水を口にしたとき、なぜか心が癒されたのだ。「祈り」という行為が暮らしの中にあることは、とても心を落ち着かせるのだと分かった。癒されたい、救われたいと願う気持ちは、弱いのではなく、心が清いことなのだろう。祈りとともに生きてきたこの島の人々を見て、私の中で何かが変わった。

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