あらゆる食材、生活雑貨、衣類。ケチャマタンの朝市にはこの町の暮らしのすべてがあった。

ワヒッの店がある裏手が
ケチャマタンの市場になっていた。
中央に広場があり、
その周りを簡素な小屋が取り囲んでいた。
バリではなぜか朝起きができなくて、
いつも見逃していた朝市。
ぜひとも写真に収めたいと思い、
朝5時に起きて行ってみた。

広場ではフリーマーケットのように、茣蓙を敷いた露店が並び、手編みの籠などの生活雑貨や形は悪いが見るからに有機栽培の農作物を売っていた。小屋のほうは常設店になっていた。魚、肉、香辛料、衣料から日用品まで一通りのものが売られ、さながらこの町のスーパーマーケットだ。日本の公設市場を40年前の状態に戻した感じであろうか。

早く行き過ぎたせいか人出はまだ少なかったが、足の速い魚や肉などの生ものを売る店には人だかりができていた。売り手も買い手もみんな女性で、甲高い声を張り上げて値切り交渉を繰り広げていた。冷蔵庫が普及していないインドネシアでは、その日食べる生ものは毎朝買うしかないのである。それに比べ乾物や衣料などを売る店はゆっくりと支度をしていた。

板張りの収納箱の中から商品を取り出して並べたり、お隣さんと世間話に夢中になっていた。お国は違えど市場での光景はよく似たものである。
小屋をぐるっと一回りしてから広場へ出てみると、店を開く人も買い物する客もずいぶんと増えていた。篭に入った鶏や陶製の器、何に遣うのか想像できない篭、宗教的儀式に使うと思われる飾りの類などがところ狭しと並んでいた。カメラを向けると恥ずかしがって顔を背ける人、知らん顔する人それぞれだったが、「煙草を買わんか!」と声をかけてきた男がいた。

広場の壁を背にして店を出している男だった。男の前には刻み煙草が幾つかの山になって並んでいた。自分で巻いた煙草をくわえていた。声の大きな明るい男で、「お前はどこから来たのか」と聞いてきた気がした。「ジャパン。ジャパニーズ」と答えたが、通じたかどうかは分からない。男は笑っていた。紙巻き煙草だったら買ってもよかったのだが、刻んだ煙草の量り売りを買っても仕方がないので諦めた。男の写真を撮って別れた。
朝市から帰ると、グリシで警察官をしているというすぐ下の弟ルトフィが奥さんと娘を連れて来ていた。

制服を着ているから仕事の途中かと聞くと今日は休みだと言った。日曜日でもないのに不思議な話ではあるが、本人が休みだと言うのだからしょうがない。午前10時、店に出ているお父さんに挨拶をしてゴフルと私はジムニーに乗り込んだ。これからバリへ帰るのだ。帰りはスラバヤを通らず一目散にバリを目指した。昼間の運転だったのと渋滞に巻き込まれなかったせいか、何と12時間でクタまで帰ることができた。こうして私のジャワの旅は終わった。私はゴフルに精一杯のお礼をして「お疲れさまでした、ありがとう」と声をかけた。

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