亡き友「平田喜一郎」に捧げた追悼CDが完成し、「楽友」を代表して和泉が喜一郎の奥さんに贈った直後のことだった。自宅に門出からの小包が届いた。中に入っていたのがこのジッポーのライターである。手紙が添えてあった。今回のCD作成に当たって、私が一番働いたので、感謝の意を込めて贈ると書いてあった。
手作りCDである。一応の完成を見た時点で、何枚作るかについてみんなに意見したことがあった。外見的には市販のCDと遜色ない仕上がりに、みんなが色めき立った。自ずと希望枚数が多くなった。追悼の意味合いは弱まり、何となく自作CDの色合いが強くなりつつあった。「違うんじゃないか」と意見したのだ。
ライターに添えられた手紙を読んだ時、それが、今回のプロデューサー役でもある和泉と門出の負い目になったんじゃないかと思った。悪いことを言ったなと少し後悔した。CD制作に参加した全員がそれなりの役割をこなしたからCDはできた。私だけが苦労したわけではない。みんなが欲しい分だけ作れないことはなかったはずだ。本来の目的とずれていたとはいえ…。
私はタバコをカートンで買う。その時必ず100円ライターがついてくる。だから、もう何年もそれ以外のライターを持ったことがなかった。ジッポーも何度か持っていたことがあるが、オイルが無くなったり、石が無くなったりで面倒くさくなったり、時にはライターそのものが無くなったりして、長年愛用のライターというものを持ったことがなかった。
このライターを見た時、一目で好きになった。跳ね馬の彫刻もさることながら、マホガニーを思わせるペイントが気に入ったのだ。そしていかにも高価そうである。もしかしてシルバー製かとも思ったが、どうもそうではないらしい。昔持っていたジッポーライターは、その重さにうんざりしていたけど、気に入ったものはその重ささえも好ましく思えるのだと分かった。愛用のタバコ「ラッキーストライク」とも良く合っていると思う。
年齢とともに物忘れがひどくなっている。喫茶店にタバコを忘れることもしばしばだし、携帯電話も家に、会社に忘れてしまう。和泉と門出がお金を出し合ってプレゼントしてくれたこのジッポー、決して無くさないようにと、自らを叱咤激励する毎日である。和泉、門出、ありがとう。
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