本格的にカメラを始めるきっかけとなったミノルタα70とα90をワシントンDCで失くした後、悩んだ末に買ったのがこのキャノンT90である。
ミノルタαシリーズは画期的なオートフォーカスカメラで、友人に勧められるまま買った初の一眼レフカメラだった。レンズも2本揃え、28ミリの広角から210ミリの望遠までカバーできた。そして210ミリでは飽きたらず400ミリの望遠レンズを買い足した。次にレンズ交換するのが面倒くさくなって、カメラマンの友人のつてで上位機のα90を購入し、さらには20ミリの超広角レンズまで買ってしまった。そのうえカメラマンの見よう見まねでフィルター類も買いそろえて、カメラを始めたばかりの素人にしてはいっぱしの機材を揃えていた。

オートフォーカス機能はまだ第一世代の頃で、素人ならではの手ぶれとも相まって、ピントのずれた写真に不満が残っていた。そんな時にカメラバッグごと盗難にあったので、次に買うカメラはマニュアルフォーカスにすることにしたのだ。ただその手のカメラには名機が多く、ニコンF4を始め、キャノンF1、コンタックスRTSと素人が持つには恐れ多いカメラばかりだった。その中でキャノンT90に決めたのは、操作性がαシリーズと似通っていたからだ。従来型のカメラに比べて、αシリーズとT90はダイヤルの代わりに液晶画面を装備していた。αシリーズからカメラを始めた私には、液晶画面なくしては撮影できない理解力と技術力しかなかったせいもある。
T90はルイジ・コラーニがデザインした先鋭的なフォルムと先進の操作性を持ったカメラだ。レンズも高価なLレンズを中心に揃え、ハイマチュアと呼んでもいいくらいの機材を揃えた。当然カメラは一台だけでは足らず、かといってもう一台T90を買える財力も無かったため、中古でAL1を買った。このカメラは落としたり濡れたりしてもかまわない状況で使うことが多かった。バリの海でパラセーリングしながら撮影したのが最大の思い出である。
ある時知り合いに頼まれて撮影をした。自慢の85ミリf1.2というレンズでポートレートを撮ったのだ。解放値で撮影すると、瞳にピントが合うと睫毛はボケるくらいの被写界深度の浅さである。仕上がりを見て愕然とすることになった。9割方意図したところからピントがずれていたのだ。素人技術の浅はかさを思い知らされた。
そんなことがあって、私はマニュアルカメラに嫌気がさした。手動でピントを合わせられる自信がまったくなくなったのだ。特に85ミリレンズには恐怖心さえ抱くようになった。そして私は再度熟考の末、オートフォーカスカメラの最高峰EOS1を買った。苦労して揃えたLレンズは300ミリを残して全てを売り払った。何かしら愛着残るT90は売り払っても大したお金にはならないため、50ミリマクロレンズと一緒に残している。ただ、この10年あまり一度もシャッターを押したことはない。申し訳ない限りであるが、EOS1でさえお蔵入りの状態である。やむなしか。

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