町歩きを兼ねたウォーキングを始めて一年が経った。健康のためと言うより、通ったことのない道や路地を歩きたい、知らない町を見たいという思いのほうが強かった。それに、せっかく歩くのだから、できれば足腰に負担のかかる坂道の多いところが良かった。坂の多い町のほうが面白そうだと言うこともある。これは多分に「ぶらタモリ」の影響だろう。
上町台地の西側に住まう者として、坂道をのぞむなら東へ行くしかない。と言うことで、内久宝寺の通りを上町筋まで上がり、難波宮跡の南側を玉造筋まで下っていくことにした。玉造筋まで出ると、右へ進路をとる場合は玉造交差点をもう一度右に曲がって長堀通りを松屋町筋まで帰ってくるコース、左だと森ノ宮で左折して、中央通りの坂を越えて松屋町筋まで帰ってくるコースだ。これを基本として、横道に入り、路地を通るバリエーションを増やしていく。そんなことをしていると、特に上町筋から玉造筋の間で、中々に面白い風景に出会えることが分かってきた。

まだ幾分昭和の香りが残るこの界隈は、坂の多い景色と相まってどこか懐かしい佇まいを見せている。 この辺りには公園も多く、西から「広小路公園」「寺山公園」「玉造公園」と同じ道沿いに並んでいる。 上の写真は寺山公園の隣に位置する寺山府営住宅の給水塔ではないかと思う。住宅棟群とは通り一本離れたところに建っている。もしかすると、この給水塔の回りにもかつては府営住宅があったのかも知れない。横には真新しい高層マンションが勝ち誇ったようにそびえ建っている。 それから個人的には府営住宅の西側に位置する「広小路公園」という名前が気になっている。大阪城の近くでもあり、昔はこの辺りに広小路があったのだろうか。広小路となると両国広小路が思い出される。となるとちょっとした繁華な町があったのかも知れない。と思いつつ江戸時代の大坂絵図を見てみると、確かに広小路となっている。しかしこの辺りは与力、同心の屋敷の建ち並んだところで、多少幅広の道が通っていただけだ。時代小説に出てくるような上野や浅草の広小路とは違っていた。残念。

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