元々は妻が見つけてきた場所だった。玉造まで買い物に行った帰り道、路地の向こうに桜の花が満開になっている丘が眼に入ったらしい。誘われるまま丘の上に登ると、この景色が広がっていた、と言うことだ。家に帰ってきた妻は、興奮の色も隠さず「どえらいモンを見た!」的な話しぶりだった。話だけでは要領を得ないのでネットで検索すると、正式には「旧真田山陸軍墓地」とあった。西南戦争から始まり、日清、日露戦争を経て第二次世界大戦までの陸軍兵士の墓所なのだった。
「えっ、西南戦争?、西郷隆盛の?」。
これは見に行くしかないではないか。と言うことで、その週末の土曜日、玉造の宰相山公園を目指した。真田山と宰相山は道を隔てて並ぶ小高い丘で、旧真田山陸軍墓地と言う名称なのに宰相山にあった。
桜はまだ花が残っていて、丘の上は薄桃色に染まっていた。時折雲が切れて青空が顔をのぞかせる程度のお天気だった。公園の階段を登り切ると、そこは一面の墓標に埋め尽くされていた。墓標をみると確かに西南戦争に従軍した大阪鎮台の軍人の肩書きと名前があった。日が陰って暗くなった。ちょっと不気味な感じがしないでもない。中央のレトロな建物から犬の鳴き声が聞こえてきた。この墓地を管理している、いわば墓守さんの住む家のようだ。
番犬が吠えていたのだ。家の前では洗濯物が春の風に揺らいでいた。 墓守さんの住む家の向こうに大きな建物があった。納骨堂のようだ。その横の広場にはたくさんの桜の木が植えられていて、それが遠目に丘を覆っているように見えたのだ。墓地だというのに、どうも近所に住む方々の花見所になっているらしい。「バーベキュー禁止」の立て看もある。しばらくすると、幼い女の子二人を連れた若い夫婦が、お花見の用意をしてやってきた。毎年のことなのだろう、女の子たちに気味悪がっている様子はない。終わりかけの桜の花の下で、元気いっぱいに走り回っていた。