桜が咲いて、今年一番のお花見日和だったとある日、友人に誘われて大川端の「泉布観」を見に行った。大川端の桜並木は満開で、よく晴れた上にこれまでになく暖かい日だった。ごった返す花見客の間を縫うように進んで泉布観までやって来たのだったが、一年に3日だけの公開と言うこともあって、想像を遙かに超える長蛇の列が、敷地の中だけでは収まりきれずに国道1号線の歩道まで伸びていた。警備のおじさんに聞くと「3時間待ち」と言うことだった。これを逃すと来年になるということもあったし、閉館までには入れそうだったから列に並ぶことにした。たぶん、人生で2回目の長い待ち時間だろうか。最初は大阪万博の時だったような気がする。
泉布観は明治4年に創業した造幣局の応接所として建てられたらしい。現存する大阪最古の洋風建築だそうだ。それを大正6年に大阪市が引き継ぎ、戦災にも生き延びて今に至っている。
暖かな春の陽射しに包まれて列に並びながら、改めて泉布観の周辺や補修された建物を眺めてみた。建物のことは後で触れるにして、元々庭であったところや泉布観を取り囲む塀など、本気で修復に取り組んだとは思えない薄っぺらさである。国道1号線の拡張に伴って敷地を削られたのはとても残念であるが、それにしても…である。

庭園は失われ、車が通れるアスファルトの道と芝生と幾本かの樹木が植わっているだけだ。設計者であるウォートルスは建物だけを設計したわけではないはずだ。きっと庭園や周りを取り囲む壁なども、同じ熱意でデザインしたに違いない。重要文化財に指定された歴史的な建造物へのこの扱いは、大阪人の文化度の低さを象徴しているとも言えるのではないか。長年大阪に住まう者としては恥ずかしい限りである。
並ぶこと2時間半、いよいよ建物内に入ることとなった。保安面から考慮されたのだろうが、建物の周辺は高さ約2メートルのフェンスで取り囲まれていた。建物の美しさは見事に損なわれている。バルコニーの手摺りに塗られたピンクのペンキもどこか安っぽく見えてしまう。玄関先で靴を脱いで建物の中へ入った。漆喰壁はきれいに補修され鑑賞に堪えうる状態になっていた。驚いたのは最初の部屋に入ったときだ。暖炉などの取り外せない調度品以外は悲しいほどに何もなく、ガラスケースに収められたシャンデリアがポツンと置かれているだけだった。この部屋を見るだけで、これまでの泉布観への粗雑な扱いが知れるというものだ。確かに豪華な作りはそこかしこにその痕跡を留めてはいたが、家具や調度品のない空っぽの室内には、往時の佇まいを匂わせる空気感は皆無だ。

動力を取り外された古時計のような、薄汚れた骨董品を見ているような感覚だった。
大阪市はいったいこれをどうしたいんだろうか。同じ敷地内に残る旧明治天皇記念館(桜宮公会堂)は、内装をリニューアルして、昨今流行りの結婚式場になるらしい。大阪市は維持管理費を捻出するために、結婚式場として民間に貸し出すことにしたのだろう。それにしても、もっと文化的な利用方法を思いつかなかったのだろうか。泉布観はきっと泣いている。

【後記】
我が家の裏に幼稚園がある。上の写真はグラウンドに置かれたお母さん方の自転車である。長年この幼稚園を上から眺めてきたが、後にも先にも初めて見る光景だった。朝夕の送り迎えでもここまでの自転車を見たことはない。ほとんどの自転車が前後あるいは後に子供を乗せるハイバックチェアーを装備している。送迎バスで通園する子供も多い。それ以外に、これほどの園児が通っているとは思わなかった。

この日、たまたま外を覗いたら、すでにこの状態であった。どんな風に集まってきたのか、そしてどんな風に帰っていたのかも見ていないのは残念だ。さぞや緊急で重大な何かがあったに違いない。勝手ながら、子供たちの安全に関する重要な話し合いが持たれたのではないかと想像したりした。例えば登下園時の安全対策なんか…。それにしても壮観だ。子を持つ親の愛情をひしひしと感じる写真である。

TATSUYA KYOSAKI PRESENTS

Prev.

Home

Copyright(c)2013 TATSUYA KYOSAKI
Produced by BASIC INC. All rights reserved