鶴橋駅下の国際マーケットの人混みをかき分けて南に抜けると、そこからはJR環状線の内側を歩くことになった。この辺りからは高架下を住まいにしている人はなく、倉庫や空き地が連なっていた。それは桃谷駅を越えて寺田町駅まで同じような状態だった。ただ、駅が近くになると人通りが多くなるせいだろう、飲食店や花屋さんなどが新しく店開きしているところもちらほら見かけられた。とは言え、全般的にはシャッターの降ろされたひと気のない場所だった。
寺田町駅はこれまで縁のなかった場所で、今回初めて訪れた。高架下には飲食店が立ち並んでいたのだが、恐ろしく暗く、人通りのない、ちょっと怖い感じに満ちていた。高架を支える鉄材は薄汚れ錆び付いて、廃墟を思わせる空気感を放射していた。赤々と燃えさかっていたものは今や燃え尽きて、焼け跡のような寂しさに覆われているように思えた。まだ陽の高い時間だったせいもあるかも知れない。夜になれば飲み屋も店を開けて、賑やかな場所になるのかも知れない。もしそうだったら、本当に良いのだけど…。
予定を変更して天王寺まで足を伸ばしてみようと思ったのだが、高架下沿いの道路が無く、諦めることにした。で、帰りは線路とは反対側、つまり外側を歩いてみることにした。ところが寺田町から鶴橋までは環状線の外側に沿った道はなく、路地から路地を彷徨うように鶴橋まで帰って来た。鶴橋駅からは内側にコースを変えてみた。そこで出会ったのが左上の風景である。迫力のある高架下風景だ。錆び付いた鉄の支柱がいかにも鉄道的である。どこか鉄橋を彷彿とさせる重々しさがある。高架下には商店が連なっている。シャッターを降ろしている店も少なくない。環状線の高架ができてから何年が経つのかよくは知らないが、昭和、平成と連綿と続いてきた町並みなのだ。あるかどうかは別にして人情を感じさせる佇まいでもある。
下の2枚の写真は、高架の反対側だ。こちらはどういう分けか、ちょっとおしゃれな店が並んでいる。上部の昭和的構造とは趣きの違う店の景観は、妙なアンバランス感に満ちていて、これはこれで面白い。