バクタプルの町もキルティプルの町も、そしてパタンの町もすごく面白くて、これまででもっとも多くの写真を撮った旅となったのだが、今回の旅の最大の思い出は、デブさんの新居でネパール家庭料理をごちそうになったことだ。
その日は朝から歩き詰めで、デブさんの家にたどり着いたのはすっかり陽の落ちた頃だった。それには理由があって、食事の用意が整う時間を見計らったデブさんがパタンの町で路地を歩くという時間稼ぎをしたためだ。
朝、ハッチバンでは何年ぶりかのハイキング、ダクシンカリでは急な階段を上り下りし、昼食の後はパタンの路地を歩きっぱなし。普段カラダを使わないデザイナーにとってかなりキツイ一日を送ったご褒美が、デブさんち料理になると言う訳だ。
あきらかに高級住宅街と思われる地域に新居はあった。完成はしていないがもうすぐ住み始めるとのこと、それがネパール方式らしい。
地下1階、地上3階、敷地も100坪以上あろうかという豪邸だ。「大阪に来たときは遊びに来てよ。泊っていってもいいし…」などとは言わないことにした。
出家をしているデブさんの弟以外は家族全員、それにいとこも何人か集まって我々を迎えてくれた。お父さんもお母さんも小さくてかわいい人だった。カトマンズで見かけるネパール人とは違い、恥ずかしそうにしながらも物静かで穏やかな表情が印象的だった。料理が出てきてびっくりしたのは、お米が日本と同じ中粒種だったことだ。
デブさんのお父さんが作ったお米だと言う。おいしいお米だった。デブさん一家はずっとこのお米を食べているらしい。兄妹含めた日本好きの原点はこのお米かもしれない。次に驚いたのが「味噌汁」。妹のスバドラさんが作ったという。ワカメまで入っているではないか。聞けば長女のスバドラさんも次女のスバルナさんも日本で暮らしたことがあるんだとか。ふたりとも日本語が上手で日本が大好きだという。光栄なことだし、うれしくもなってくる。
ビールからロキシーに飲み物が代わった頃から次第に高岡氏のテンションが上がり始めた。というか、お父さんに挨拶をしたときからテンションは高まっていたのだが、ドラさんが「ゆかた」を着たときに、高岡氏のどこかのネジが外れた。お母さんがゆかたを着て一家全員で写真を撮る頃になると、すっかり壊れていた。例の「アホ!…」「オレが…」を連発しての大騒ぎを繰り広げていた。
その一方で静かに壊れていく男が私の前に座っていた。武本氏だ。ネパール初日からロキシーの虜になったその男は、2日目の夜、奥方の制止を振り切って、ロキシーの海でおぼれた。
3日目の夜は何とか自制したものの、この日は高岡氏の影に隠れるように杯を重ね続けていた。やがてお開きとなって玄関で靴を履いた武本氏、玄関先の階段を踏み外してしたたか足を打ってしまった。酔っ払っていてのあの痛がりは、かなりのものだったに違いない。痛がる亭主を横目に奥方は「だから、止めときなさいって言ったでしょ!」的冷ややか視線を送っていたのを、私は知っている。デブさんの家を出る頃には立ち直りを見せた高岡氏に比べ、武本氏は今宵もロキシーの海に沈んでいった。