屋敷の中に入る。日本建築の構造的問題なのか、光の入らない暗い廊下を進む。その廊下には大正ロマンを偲ばせるようなデザインの照明が吊り下がっていた。当時のものなのか、レプリカ的なものなのかは分からない。
最初に入ったのは、和洋折衷の見本とも言えそうな応接室だった。すぐに目に入ったのが窓枠のデザインだ。その上の欄間を兼ねたようなステンドグラスも素晴らしい。おそらくソファーの生地も張られた当時のままなのだろう。劣化を避けるために見学者達が座るのを禁じていた。とにかく建具にしても内装にしても、普段我々の暮らしでは目にすることのないものばかりで、日本建築の様式も、建具の呼び方も知らないのだが、物珍しさに圧倒されるばかりだ。
中でも食堂の隣に設えられた食堂予備室的な場所には冷蔵庫や給湯器などがあって、食事をする家人のためにお茶やデザートなどをすぐにでも出せる体制が整えられているように思えた。80年も前にである。
その食堂は椅子やテーブルは当時のものではなかったものの、天井から吊されたアールヌーボー様式の照明をはじめ欄間のステンドグラス、廊下に面したガラス戸など、日本建築と見事に調和の取れた空間を創り上げている。こんな広い食堂で食事をするなんて落ち着かないに違いない。それともすぐに慣れてしまうのだろうか。
さらに驚いたのが、玄関を望める場所にある使用人の部屋だった。執事の部屋はまた別に独立した洋室が用意されていたのだが、この使用人部屋には女中さんが待機していたのだろうか。壁の上に何やら黒いパネルがある。友人の話では、家人が使用人を呼ぶ時に使うものらしい。ランプの点く位置で呼ばれている場所が分かるのだという。何とまあ、その時代からこんなものがあったのだ。
結局、我々庶民が驚き感動したのは、家人がくつろぐ居間や応接間、或いは来客を持てなすために上品に設えられた和室なんかではなく、映画やテレビの中でしか知らなかった執事の存在だったり、使用人部屋の装置だったり、冷蔵庫や給湯器だったり、ダイヤルタイプの電話機のある独立した電話室だったりするのだ。
「80年も前にこんな暮らしがあったなんて…」という驚きは、その時代の庶民には想像もつかないハイテク装置の数々に対して投げかけられる言葉なのかも知れないと思ったりもした。
ところで、この森平蔵邸、大阪好奇心遺産に登録するなど恐れ多いので、心残りではあるが見送ることにした。
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