新世界は娯楽の町だった。演芸場が軒を連ね、ジャンジャン横町には的場(矢場)があり、スマートボール場があった。そんなところは大阪ではここしかなかった。場末感溢れる町だが、同じ場末的イメージのある天六や京橋や鶴橋とは決定的に町の在り方が違っていた。ただ行き交う人は中年の男ばかりで、若者の数は少なかった。若い女性など、そこで働いている者を除けば皆無に等しかった。生活のための町ではなかったからだ。
娯楽は大阪の、いいや浪花のアイデンティティーと言っていい。大阪には道頓堀というメインストリートもあるが、猥雑さでは新世界のものだ。そこにたまらない魅力があった。元々新世界は計画的な町づくりによって生まれた町なのだが、戦争と戦後の混乱によってガタガタに崩れきったところから、焼けぼっくいに火が付くように甦ってきた町だ。
あるいは自由気ままに町が出来上がってしまった感が強い。だから節操がない。雑多な感じは否めない。しかしそれこそが人の熱気であり、血が通う温もりだと思う。
この写真を撮った時代は、通天閣を筆頭に新世界は時代遅れのものたちで溢れかえっていた。映画さえ見向きもされなかった頃、ネオンサインと手描き看板に彩られた演芸場が町を睥睨していた。いまは「新世界日劇」も「朝日劇場」もない。ジャンジャン横町の的場もなく、スマートボールもできない。時代とはそうしたものなのだ。それでも新世界は逞しさを失わない。通天閣がある限り、大阪人は誇りを失うことはない。誰が何と言おうと、新世界は大阪のど真ん中なのだから。
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