「思考する」というヒト本来の本能が、社会から遠ざけられている感じがします。考え悩まなくても大抵のことはすでに似通った前例があるから、それを「ちょっと拝借」すれば済んでしまうという安直さに満ちあふれているように思います。良かれと思って始まった「簡単であること」「難しくないこと」が何より優先された結果、ヒトは思考することを面倒くさいと思うようになったのですね。さらに言えば、「継続する」あるいは「積み上げる」ことも重要なことではなくなったようにも思います。それも面倒くさいからでしょうか。
望むべく結果は「思考するチカラ」なしには生まれないと、私たちは考えています。簡単便利な「モノまね」は創造の出発点かも知れませんが、到達点ではありません。思考することで、「ヒトのチカラ」はオリジナルを生み出します。モノまねも生み出しますが、モノまねは切磋琢磨することで、いつかオジリナルになることもできます。
「ヒトのチカラ」とは、そうした継続する思考と工夫、積み上げる思考と工夫を意味しているのです。私たちベーシックとともに「ヒトのチカラ」でつくり上げることにチャレンジしませんか。